パーソナリティ障害を癒すアドラー心理学

心理学の分野では、フロイト心理学、ユング心理学、アドラー心理学の三つがもっとも有名です。フロイト(1856年 – 1939年83歳死去)は、ユングやアドラーと同時代の人ですが他の二人よりも年長者であり先駆者ともいえます。フロイトは、潜在意識は欲望、過去のトラウマが病気の原因であると考えて「夢の解釈は、無意識の活動を熟知する王道である。」「夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である。」といった主張をしていました。

目次

集合的無意識とユング心理学

ユング(1875年 – 1961年86歳死去)は、潜在意識と集合的無意識、シンクロニシティ(同時共時性)などを研究しました。ユングは、フロイトの考え方をさらに深めるうち、無意識にある観念と感情の複合体を「コンプレックス(Complex)」と名づけ、更に深層に、自我のありようとは独立した性格を持つ、いわば「普遍的コンプレックス」とも呼べる作用体を見出しています。それは、男性であれば、自我を魅惑してやまない「理想の女性」の原像であり、また困難に出逢ったとき、智慧を開示してくれる「賢者」の原像でした。ユングは、このような「原像」が、個人の夢や空想のなかで、イメージとして出現することを見出し、さらに個人の無意識に存在するこのような原像が、また、民族の神話や、人類の諸神話にも共通して現れることを見出しています。自我である表面意識とは別にある深層意識つまり潜在意識の働きについて、フロイトの主張する性的欲求から生まれるものだけでないもっと奥深い作用を突き止めたのがユングの業績であるといえるでしょう。ユング心理学から、精神分析療法が生まれて発展していきました。

アドラーは、潜在意識よりも目前の生き方を重視

ユングもフロイトも潜在意識の存在を重視していました。フロイトとも交流のあったアドラー(1870年- 1937年67歳死去)の心理学は、ユングやフロイトのような潜在意識についてのとらわれから脱して、人間の自由意志つまり自己決定性を重視します。アドラーはしばしば「人生は自分が主人公(自己決定性)」と述べています。アドラーに言わせると、「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。」というのです。同じように、「変われないのではない。変わらないという決断を自分でしているだけだ。(アドラー)」という調子です。できないと嘆く人にとってはもしかすると、厳しい表現に感じるかもしれません。しかし、得体のしれない潜在意識についてあれこれ悩むよりもすっきりしているともいえるでしょう。

大事なのは「原因」「過去」ではなく「目的」(目的論)

「楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなく、今現在の「ここ」だけを見るのだ。」(アドラー)というように、今、この瞬間、瞬間の中に、全力を尽くし、楽観的に生きることを説いているのもアドラー心理学の大きな特徴です。潜在意識について考える心理学ではしばしば過去のトラウマなどに着目して、あれこれ検討しますが、アドラーはそのような取り組みにはあまり意味がないと考えていました。むしろ人間が生きる目的について考えることが、様々な苦悩からの脱却の道筋であると考えたのです。そして、その目的は人によってさまざまであり、その多様性をもたらしているのが、「主観」であるとしたのです。「人は皆、「主観」というメガネをかけている(認知論)」ということです。アドラーは言いました。「「暗い」のではなく「優しい」のだ。「のろま」ではなく「ていねい」なのだ。「失敗ばかり」ではなく「たくさんの挑戦をしている」のだ。」(アドラー)。このように同じ出来事や様態を観察するにも、人はそれぞれの主観という色眼鏡によって世界を見ているということです。それが「認知」の働きであり、この「認知」の歪みを解除することで、ほんとうの「目的」が見えてくるのです。これは、昨今、流行りの、「認知行動療法」につながる考え方です。

他者は変えられない(課題の分離)。他者にどう思われるかは関係ない(承認欲求の否定)

アドラーは、他者を変えようとすることが苦悩をもたらすと説いています。他者の思惑にひきずられることで人は苦しむのです。「自分と違う意見を述べる人はあなたを批判したいのではない。違いは当然であり、だからこそ意味があるのだ。」とアドラーは言いました。他者の問題と、自分の問題を分けて考えること、それが課題の分離です。この課題の分離がなかなかできないことで、人は苦しむのです。そして、他者にどう思われるかを考えて苦悩します。この他者の思考への過剰反応は、承認欲求とも呼ばれています。他者に承認されたいとのこの欲求は、満たされることのない欲求であるため、これに縛られると人生は苦しみに満ちたものになってしまうのです。フロイトにもユングにもない、アドラー独自の幸福論として、特筆すべきは、「共同体への奉仕こそが幸せになる道」だとアドラーが主張していることです。これは宗教的世界観あるいは信仰的世界観にもつながる考え方ですが、アドラーはそうした神学論ではなく、純粋に心理学の観点から、共同体感覚こそが、心を癒し、人の心を救うのだと繰り返し主張しているのです。これは日本人の精神性にも非常にマッチしている考え方ではないでしょうか。日本でアドラー心理学が流行る一因もここにありそうです。

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