境界性パーソナリティ障害に関する本などを読むと、その特徴に関して、自分もこれにあてはまるんじゃないかと感じる人というのは意外に多いです。境界性パーソナリティ障害だけではありません。10種類あるパーソナリティ障害の解説を読むと、誰であってもその10種類のどれかに当てはまる部分を持っているのです。とすると、誰でも何らかのパーソナリティ障害があるということなのか?そうではありません。
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パーソナリティ障害は著しく日常生活が障害される場合に診断される
実はこの10種類のパーソナリティ障害の内容は軽微な傾向としてであれば、誰でも持ち合わせている性格の傾向に過ぎない内容なのです。それではどこからがパーソナリティ障害になるのかというと、それは、ある性格傾向が激しいために日常生活まで障害され生きづらくなっている場合です。境界性パーソナリティ障害の場合で考えてみましょう。この傾向を持っている人というのはかなりの割合でみられます。しかし、パーソナリティ障害との診断を受ける人はその一部に過ぎないのです。なぜならば、多くは個性として受け入れ日常生活をなんとかおくれるレベルだからです。
見捨てられ不安が過度になり迷惑をかける境界性パーソナリティ障害
「見捨てられ不安」は境界性パーソナリティ障害に特徴的な思考の歪みです。認知の歪みともいえます。自分が大切な人から見捨てられるのではと常に不安を感じます。障害とまでいかない軽微な傾向どまりであれば、「さみしがりやさん」という受けとめられ方ですんでしまい、日常生活はなんとか普通に過ごせる場合も多いのです。それが過度になり、相手の関心を引くため自殺をほのめかしたり、リストカットしたり、電話をかけまくる、家におしかけるなどストーカーまがいの行為に出たり、あるいは相手を傷つける言葉をぶつけて反応を試したりすることで周囲から避けられ孤立し、うつ状態となり精神科受診に至るなどすると、境界性パーソナリティ障害と診断されることになるのです。
パーソナリティ障害の要素は誰でも持つもので人格涵養で修養できる
自己愛性パーソナリティ障害でも境界性パーソナリティ障害でも、あるいは強迫性パーソナリティ障害でも、依存性、演技性、妄想性でも、その「傾向」があるだけなら、それは個性といって良いものです。個性ならば、人格修養をして、社会に適合していける自己を育てることで、むしろ、活かせることも多いのです。欠点は長所にも転じるとよく言われるように、認知の歪みを整えて、人格を育てることで、人格障害は個性として昇華され、克服されるのです。ですから、薬物でなんとかしようという発想は根本から間違っているのです。