攻撃しながらも承認を求める境界性パーソナリティ障害

境界性パーソナリティ障害の患者とのかかわりは、医師や看護師にとっても、緊張を伴うものです。
家族はさらに精神をすり減らします。友人や恋人はもっと大きな被害を受けます。
境界性パーソナリティ障害の患者との出会いは、あらゆる医療従事者にとって始めは蜜月となります。
なぜならば、境界性パーソナリティ障害の患者は、最初のうちは医師を名医だと持ち上げ、
まるで救世主にでも出会ったかのように美辞麗句を並べ立てて賞賛するからです。
いわく、名医である先生のおかげで命を救われました云々。

目次

無理な要求で愛情を試そうとしながらも見捨てられ不安を抱える

境界性パーソナリティ障害の患者は、看護師やそのほかの医療従事者にも
このような感じで高い賞賛を惜しみません。
ただし、これは最初だけなのです。この段階を過ぎると、さまざまな要求をする
ことで医療従事者を困らせるようになります。
これは家族に対してや、親友、恋人などに対しても同じようなパターンになります。
やがて、その要求や、さまざまな愛情を試すような言動に、周囲が疲れ果ててしまいます。

そして、「それはできません。それは違うでしょう。」というような拒絶を
わずかでも示し始めると、とたんに境界性パーソナリティ障害の患者は、
それまで絶対的な味方であると断じてきた医師や医療スタッフや家族を、
今度は、激しく批判し、非難し、攻撃し始めるようになります。

相手を激しく批判しながらも自分を承認されたい欲求に飢える

こんな時、常識的には、その理不尽な変貌に怒りを感じるものです。
そして、一般的な社会においては、境界性パーソナリティ障害の患者はこの行動により
信頼を失い、居場所を失い、孤独の中に逃げ込んでしまうことになります。

もし、医療従事者や医師が境界性パーソナリティ障害の患者の心理の奥にある、
見捨てられ不安と、そこから生まれてくる相手の愛を試すための攻撃を理解すれば、
その時に、怒りで返さず、患者の心情に共感を示し、受容的に対応してあげると、
その時、はじめて、見捨てられ不安が癒されて、患者は安心感を取り戻すのです。

見捨てられ不安で相手の愛を試すため攻撃を繰り返す境界性人格障害

自分がどこまで相手を攻撃しても、決して相手が見捨てたりしないことを
確かめたいという深層の欲求が境界性パーソナリティ障害の患者には存在しています。
自己価値が低く、見捨てられ不安を抱えるがゆえの承認欲求といえるでしょう。

攻撃をも包み込み、広い愛をもって承認し、共感的に対処してあげることで、
境界性パーソナリティ障害の患者は、激しい攻撃をやめて、大人しくなります。
そして、治療に向かう素直さを取り戻すかのように見えるのです。
ただし、それは一時のことであり、同じようなことを何度も繰り返してしまいます。

こうした無益な繰り返しに耐えられなくなり医者のほうが患者を見捨てることも
しばしばあるほどです。
無理に付き合うことで医者のほうがメンタルを病んでしまうケースまであるのです。
家族や恋人などの場合はなおさらのことです。

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